食とお土産から世界を変える|はじまりのとき~私たちにできる階級闘争#1

お土産全部食う!

放牧酪農(ほうぼくらくのう)という言葉をご存知でしょうか?

私もつい最近
農家の方々のHPを見て勉強させていただきました。

放牧酪農とは、その名の通り
「牛などの草食家畜を、草地に放牧しながら育てる方法」

なんてことないように思われますが、
この放牧酪農によって、牛 ↔ 土 ↔ 草 の自然な循環が生まれます。


草を食べれば
牛乳を出し、お肉にもなってくれます。


ふん尿が土壌にとって良い肥料に。


豊かな土壌からは
養分たっぷりの牧草が生えてきます。

このように牛が存在することで、
食料を生み出す生態系が生まれ、牧草地も持続。

自然で理にかなった方法に見えるのですが、
生産効率の都合上、
北海道でも採用されているのは1割以下とのこと。

かつては、
ほとんどの農家が放牧を採用していたそうですが
「一頭当たりの乳量を最大にする」ことが目的の、
人間社会の都合で廃れていったそうです。

結果、
本来の生き方とはかけ離れた飼育をされることに。

  • 畜舎に閉じ込め、運動させずカロリー消費を最小に。
  • 健康を損ねるギリギリまで草の代わりにエネルギーの高い穀物を与える。

などなど。

地球上で、牛だけが発揮出来るミラクルパワーも、
はく奪されてしまいました。

ふと思うのは
一頭当たりの乳量を最大にすることが目的

一人当たりの利益を最大にすることが目的

もしくは
一人当たりの人件コストを最小にすることが目的

に置き換えてみたらどうでしょうか。。

牛のことも他人事とは思えない気がしてきます。

病気にならないギリギリで、
餓死しないギリギリで、
あしたも布団から起き上がって
再生産できるギリギリのラインで生活。。

増加するブラック企業や心の病を抱える人々、拡大しつづける格差。
生命の危機に瀕してまでもやりたいスポーツの祭典。

身の回りの矛盾やストレスの原因が大体説明つくのではないでしょうか。

今あげた例は、あくまでも、

  • 牛 ⇒ 人間
  • 牛乳 ⇒ お金、労働力

で考ると今のコロナ禍にも当てはまる構造が見えてくるのでは?
という一例です。

そのため現代的な酪農を批判する意図は全くありません。

むしろ、個人的にお付き合いのある酪農家の方もたくさんいて、
安定した供給によって私たちの健康な日々の食卓を支えてくださり、
常日頃から感謝気持ちでいっぱいです。

問題視しているのは、

資本主義というゲームが過熱しすぎて、

色々限界に近づいていると感じる点です。

 

社会全体が資本を最大化するゲームに熱中しすぎた末路

労働側は、
なるべくコストを抑えようとする国や企業、資本家の意向で、
死なない程度に、手にできるお金をどんどん減らされていきます。

ときどき「耐えられる人が立派」というイデオロギーによって
賃金の安さを納得させられながら。

そして、少ないお金で、今日も
”いい物” より ”安いもの” を選びます。

安いものばかりが売れる社会なので、
企業はもっと商品・サービスを
品質を保ったまま安くしなければなりません。

そのため効率化を図り、
人にも地球にも良くないとわかっている設備や方法、物質を使ったり、
今の仕事が労働力の安い外国人に変わったり、AIを導入したり、
ちょっとしたミスで人間を否定するかのような対応をとったり。

結果的に、
もっとシビアに、そしてもっと給料は減っていきます。

企業も人に投資する余裕は無くなり、
”コスパのいい人材”を選び続けます。

就職活動もその一環で、
学生からすると20年間の修行の末、
労働力オークションに自分自身を出品する作業とほぼ変わらず。

国も目先の搾取ばかりで、
教育や未来につながる基礎研究などにあまり予算を組みません。

寿命が近い時代遅れの集団が
自分さえ逃げ切れればいいと思って運営しているのでしょう。

イノベーションこそ社会をよくする仕組みだと信じられていますが、
すぐにコモディティ化するので、
結局、競争の仕組み自体が変わらなければあまり意味はありません。

近い未来、
超便利なサイバー社会で、
みんな死んだ魚の目をして生きているのでしょうか。

そもそも「感情というものが非効率」という事に気づいた人々は
機械よりも機械的な生活を送ろうとするかもしれません。

当然、子供を産むのも経済的に非効率とみなされるはず。
少子化も止まるはずはありません。

そしていま、大きな問題が露呈しました。

健康リスクがあっても、競争しないと生きていけない世界

休業要請のような都合のいい事ばかり押し付ける側と、
営業しなければ生きていけないホテルや飲食店の現状、

といった、特有の構造も、
昨今のコロナ禍でより顕在化してきたように思います。

様々なレベルにおいて誰も競争をやめられません。

タチが悪いのは、やはり資本とそれに癒着した権力。
罰金、罰則、税、

そのしわ寄せを、なんでもかんでも
弱い人達や、弱い生物に押し付けるのは大変よろしくないと思います。

企業レベルでは
いじめ、パワハラ、セクハラ、などにも現れてきます。

ただ、そういう人たちがいるのも仕方ない事かもしれません。
そうなって当然のゲームだからです。

このままいけば、1%の人たちを除いて
誰も幸せにならない方向に向かっていくように思います。

私が問題視するのは、競争のしすぎで
自滅へのアクセルを踏み込みすぎではないか?という点。

今勢いがある人も、
いずれは自分たちがやっていることのせいで、
自分たちが作りだしたこの渦に飲み込まれてしまいます。

行き過ぎた競争に対するブレーキが必要。

問題の核心は誰かを非難することではなく、
みんなの力でゲームの仕組みを変えていくこと。

ではどうするか?

私の提案はいたってシンプル。

「食とお土産。もっと身近でもっとうまいものに金を使う。」

「100円のハンバーガー、みんなで買うのやめませんか?」

簡単に言えば、お金=投票権 という見方をもって、
資本主義を助長するだけの、
幸せにならない製品や企業に投票する(購入する)頻度を減らす。

身近な信頼できる人やサービスに対してもっと投票する(購入する)。

経済でいう逆選択の問題に似ているかもしれません。

私たちの側から
消費の際のスクリーニングを徹底的に強化しようという提案です。

そもそも競争激化の発端はどこにあったかといえば、

今日も ”いい物” より ”安いもの” を選びます。

冒頭に説明したこの部分にあると私は思っています。

この流れを変えていくため、具体的にどう行動したらよいのか。
そもそも幸せな製品を見つけるのが難しい。

などなど

次回、もうすこし
考えてみたいと思っています >